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言葉を選ぶと言うこと

──不登校支援の現場で育てられた、わたしの臨床の土台


カウンセリングのやり取りの中で、「この言葉を使うか、使わないか」で立ち止まることがあります。

最近も、ある問い合わせへの返信を書く際に、「勇気」という言葉を使いそうになり、やめました。

理由は単純で、日本語の「勇気」という言葉は、とても強いからです。


「勇気」という言葉が持つ重さ

「勇気がありますね」「勇気を出しましたね」

これらは一見、とても前向きで、励ましの言葉のように聞こえます。けれど、日本語における「勇気」は、

  • 立派さ

  • 頑張り

  • 乗り越え

  • 前進

といった価値評価を、無意識のうちに含みやすい言葉でもあります。

もし本人が、

  • まだ迷っている最中だったら

  • 一歩進んだと思っていなかったら

  • また立ち止まる可能性を感じていたら

その言葉は、励ましではなく「期待」や「圧」になってしまうことがあります。


だから選んだ「一歩」という言葉

その代わりに、わたしが使ったのは、

という表現でした。

この言葉には、

  • 勇敢かどうかの評価はありません

  • 成功・失敗の判断もありません

  • この先どうするべきか、という方向づけもありません

ただ、「動きがあったこと」と「それをどう受け取ったか」だけが含まれています。

しかも、

  • 「一歩」=大きくなくていい

  • 「大切」=意味はある

  • 「感じました」=あくまで私の主観

この三点がそろうことで、相手の主体やペースを奪わない言葉になります。


この言葉選びは、どこから来ているのか

心理職としての臨床経験も、もちろん影響しています。けれど、自分で振り返ってみて強く思うのは、

15年間、中学校の担任として不登校支援に関わってきた経験です。

不登校の支援では、

  • 行けた日

  • 行けなかった日

  • 教室に入れた日

  • 保健室までの日

  • また間が空く日

こうした揺れの連続が、ごく当たり前に起こります。

その現場で、「勇気を出したね」「よく頑張ったね」という言葉が、翌日の「行けなかった」をどれだけ苦しくするかを、何度も見てきました。

だから自然と、

  • 強すぎない言葉

  • 後戻りしても苦しくならない言葉

  • 翌日も成立する言葉

を選ぶようになっていったのだと思います。


担任の言葉は、生活の中で生き続ける

担任の言葉は、

  • 次の日も顔を合わせる

  • クラスの中で反芻される

  • 家庭で親に伝えられる

生活の中に残り続ける言葉です。

一度放った言葉を、簡単に回収することはできません。

その感覚は、今の臨床の場でも、わたしの言葉選びの土台になっています。


支援しすぎない、という支援

不登校支援の現場では、

  • 良かれと思って動きすぎる

  • 先回りしてしまう

  • 言葉で背中を押しすぎる

ことで、かえって人を追い詰めてしまう場面を多く見てきました。

だから今も、

  • 判断は相手に渡す

  • ペースは相手に預ける

  • 余白を残して終える

という関わり方を、大切にしています。


言葉は、人の人生に残る

言葉を慎重に選ぶのは、臆病だからでも、遠慮しているからでもありません。

言葉が、人の人生に長く残ることを知っているからです。

心理職としての臨床と、担任としての15年の現場経験。

その二つが重なって、今のわたしの言葉選びがあります。

これからも、誰かを無理に動かす言葉ではなく、安心して立ち止まれる言葉を、大切にしていきたいと思っています。

 
 
 

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