言葉を選ぶと言うこと
- 裕亮 池田
- 2025年12月30日
- 読了時間: 3分

──不登校支援の現場で育てられた、わたしの臨床の土台
カウンセリングのやり取りの中で、「この言葉を使うか、使わないか」で立ち止まることがあります。
最近も、ある問い合わせへの返信を書く際に、「勇気」という言葉を使いそうになり、やめました。
理由は単純で、日本語の「勇気」という言葉は、とても強いからです。
「勇気」という言葉が持つ重さ
「勇気がありますね」「勇気を出しましたね」
これらは一見、とても前向きで、励ましの言葉のように聞こえます。けれど、日本語における「勇気」は、
立派さ
頑張り
乗り越え
前進
といった価値評価を、無意識のうちに含みやすい言葉でもあります。
もし本人が、
まだ迷っている最中だったら
一歩進んだと思っていなかったら
また立ち止まる可能性を感じていたら
その言葉は、励ましではなく「期待」や「圧」になってしまうことがあります。
だから選んだ「一歩」という言葉
その代わりに、わたしが使ったのは、
という表現でした。
この言葉には、
勇敢かどうかの評価はありません
成功・失敗の判断もありません
この先どうするべきか、という方向づけもありません
ただ、「動きがあったこと」と「それをどう受け取ったか」だけが含まれています。
しかも、
「一歩」=大きくなくていい
「大切」=意味はある
「感じました」=あくまで私の主観
この三点がそろうことで、相手の主体やペースを奪わない言葉になります。
この言葉選びは、どこから来ているのか
心理職としての臨床経験も、もちろん影響しています。けれど、自分で振り返ってみて強く思うのは、
15年間、中学校の担任として不登校支援に関わってきた経験です。
不登校の支援では、
行けた日
行けなかった日
教室に入れた日
保健室までの日
また間が空く日
こうした揺れの連続が、ごく当たり前に起こります。
その現場で、「勇気を出したね」「よく頑張ったね」という言葉が、翌日の「行けなかった」をどれだけ苦しくするかを、何度も見てきました。
だから自然と、
強すぎない言葉
後戻りしても苦しくならない言葉
翌日も成立する言葉
を選ぶようになっていったのだと思います。
担任の言葉は、生活の中で生き続ける
担任の言葉は、
次の日も顔を合わせる
クラスの中で反芻される
家庭で親に伝えられる
生活の中に残り続ける言葉です。
一度放った言葉を、簡単に回収することはできません。
その感覚は、今の臨床の場でも、わたしの言葉選びの土台になっています。
支援しすぎない、という支援
不登校支援の現場では、
良かれと思って動きすぎる
先回りしてしまう
言葉で背中を押しすぎる
ことで、かえって人を追い詰めてしまう場面を多く見てきました。
だから今も、
判断は相手に渡す
ペースは相手に預ける
余白を残して終える
という関わり方を、大切にしています。
言葉は、人の人生に残る
言葉を慎重に選ぶのは、臆病だからでも、遠慮しているからでもありません。
言葉が、人の人生に長く残ることを知っているからです。
心理職としての臨床と、担任としての15年の現場経験。
その二つが重なって、今のわたしの言葉選びがあります。
これからも、誰かを無理に動かす言葉ではなく、安心して立ち止まれる言葉を、大切にしていきたいと思っています。





コメント